「四方山話」 其の十八
1.珠玉の食の深旨
2.老婆心独語
□■□ 珠玉の食の深旨 □■□
食について、昔日 食は米を指し、ケ(ゲ)と訓み、食事、食物を意味していた。
ケは食キのことで、自然現象で天地万物がエネルギーに変化しつつあることを表現した文字である。
昔は 気の中に米と書いて「氣」としたのは、米を炊く時に蒸されて昇る蒸気の不偏的要素に自然現象を見出したのが氣である。
勢力を持って、活発に活動する興起を作り出し、生きる上に於いて、欠かすことの出来ない物、すべてをケやキと呼び合っていた。
名残として、今でも酒を神酒・御神酒として、神に献上奉るものとしている。
食の字の意味は、やわらかくして食べる。
食物を器に盛り寄せ、匙を添え良い香りを放っている様とある。
その昔、テレビで元ボクサーのガッツ石松さんが、食の番組の中で食という字は皿の上に、体に良い食物が乗っているから食と書くんだと話されていた。
理にかなった話だと感心させられた。
中国では、食も医薬も同属と考えていて、敢えて分けるなら、空腹を満たす時には、食といい、病気を治す時には薬という。
これは、極端過ぎるが、美味しく食べることは、栄養的にも吸収しやすく身になり生活や人生を満たす。
美味しく食すには、
など、五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に広がる幸福(口福)という「満足感」が必要となる。
満足感の「足」といえば、京都の名刹で石庭で有名な寺「竜安寺」の蹲には、口の字を中心に、上下左右の四文字で
吾唯足知(ワレタダタリルヲシル) と刻石されている。
自分自身の器(度量)を知ることにつながっている。
食は腹ではなく、足で考える、満腹感は禁物で満足感で味わうのが必要である。
東洋医学には食養生という概念がある。
食物は、健康を維持し、病気を防ぐ治療の根本であり、病気に対する抵抗力や自然治癒力を作る原動力という考え方。
病気の原因を取り除く事よりも、自然治癒力を増やす事を重視している。
人の三要素と呼ぶべきか、この世に生まれた生命すべてにいえる基本が、眠ること(睡眠)・食べること(食薬)・動くこと (行動・働く・遊・生活) そして、生み・育て・維持・栄える事がビジョンとなり、DNA、子孫繁栄が源流となっている。
人は、この三つに 知識及び知恵を兼ね備え、生活をより良い物へと発展させる為に、衣・食・住から医(癒)・衣食住という生活をより養う社会へ身を置いている。
人は 欲という心を惑わす、迷わす、乱だす欲気(物欲・性欲・食欲)が芽生えて来る。
中でも生きる物すべて森羅万象に於いて生まれて、死ぬまで切っても切り離せない生命の源が食である。
自然界の動物、植物を食として、人は殺生することで自分自身の命をつなぐ因果応報的罪を背負い生きている。
そこに病気の芽を息吹かす食が存在し、逆に病気を治す食の役目が複雑に混沌と鎮座する。
萬物にとって自然の恵みの食は、人にとっても体の一部のようなもの。
食という生命体は科学的に解明出来ない陰陽の不可思議な世界が広がる。
それが細胞レベルの中で殺生され歴史の積み重ねが体内に蔓延し隔生的遺伝子・先天的遺伝子として存在すると思われる。
生と死という表裏一体を重んじる心が食と生命のかかわりを明白にすることであろう。
眠る | ことは | 心神を養う |
動く | ことは | 生活を養う |
食べる | ことは | 心身を養う |
□■□ 老婆心独語 □■□
【 美食短命・誤食落命 】
健康生活を合理化達成する上に、食物は直接身体の健康可否を左右する。
食の基本的見方は、医食同源(薬食同源)・
薬食帰一(薬食一如)とされ、全ての自然界の動植物は同時に薬であると云う、医食不可分の考究による。
重複するが、中国では「食物は空腹を満たす時、食といい。病を治す時、薬という」と教導している。 しかし現在、食による病気が増えてきた。
原因は食生活の余りにも誤膠が多いためである。
環境汚染物質の害がもたらした食物・企業利潤優先と流通事情の利害状態から生じた食品添加物を多く含む 食物や加工食品の氾濫が本来の食を変えてしまった。
今日、病気は食から作られるといっても過言ではない。
故に食を根本的に見直す時期に来ている。
食の原則は「身土不二」といい、此の土で生まれ、此の土を食して、此の土に育み、此の土で生活を行う意。
食養道は、まず土壌から創始することであろう。
温故知新こそ食を変転させる扉となす