「四方山話」 其の二十八
1.全身全霊が日々の長短となす
2.老婆心独語
□■□ 全身全霊が日々の長短となす □■□
数字には数多の能力が潜む。
一定の手順に従って加減乗除などの演算を行い、数式を変形して求める形にする役目の他に、超自然的に結びついて特殊かつ神秘的性質をもつ。
世は奇数が重視され 特「5」次いて「3」そして「7・9・1」など「7・5・3」を聖なる数として扱っていた。
生数1~5迄の五行発生の数理原理に、他の数5を加えると、成数6~10と成り、先程のある数は神聖(聖数)として縁起の良い数として崇められ、ある数は忌み嫌われる。
割り切れる数(偶数)、割り切れない数(奇数)を知り、ここに陰陽の原理が成り立つ。
物事を二分法で捕捉するのではなく、重層法すなわち陽(+)の中にも陰(-)があり、陰(-)の中にも陽(+)のカ所が陰伏(つつみかくす)する。
物事を決め付けて是非を問うことは、危険である。
割り切れない数に混迷したり、不思議を感じ、数術(天文・暦・占いなどの術)や行事などに使用された。
世運は割り切れないから魅了される部分もある。
命数(運命)があるとすれば、ものには「一切皆空」といって物指があるようでない。
我が尺度で価値観を見いだすしかない。
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時間は限られたものではなく 自分で生み出すものだ
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漢方でも、陰陽とは 大局からわかれたと考え、一極二元論が陰陽説である。
2の中に3をもつ。
陰陽は対立するものだけではなく、変化するものとして とらえている。
「動が極まって静となり、静が極まって動となり、
動の中に静があり、静の中に動がある。」
陰陽は無限の変化を示し 時と場合によって両方を兼備えた奇数変易作用が見受けられる。
物は全て陽に向かうが、陰を持って 始めてすべてが整い、長続性を得る。
陰陽説は、人が生きるために かかわり合うすべての事柄に、一の法則を見いだそうとした。
五行説は、生滅・変形してやむ事の無い天地・万物(=自然の妙)の気を考えるにあたって、存在する木・火・土・金・水を選び、そこに起こるエネルギーを五気とした。
その時 五気に及ぼす影響を五行の説として論じた。
五行説は、人の生活に関連のある現象と物質を五に分類して、相互関係を理論化した方法論である。
陰陽説と五行説は 別のものであったが、途中で融合されたものである。
陰陽の2(3)と五行の五を加えると7(8)で奇数となるが、偶数が隠れている。
ここに陰陽五行説の奥義が存在する。
河北省たく県で生出した 邵雍(=邵康節)は、北宋の学者又は宋学の提唱者と呼ばれ。
招かれたが官につかず、耕作して自活した。
易を基礎として天文に詳しく、宇宙論を究め、その学派は百源学派と称す。
氏曰く、天地の命は12万9600年を一元とすると、既に6万年が過ぎたとしている。
3才といって天地の命に比べて、人の一生は百年充足しない。
天は長く地は久しいのに対して短命である。
しかし個々人に合う養生をを身をもって育むことが長寿への道であろう。
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薬とは 草木による楽しい安らぎの語らい
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□■□ 老婆心独語 □■□
【 凪よりも波浪が調摂を生む 】
中華とは、自分の国を世界の中央に位置し、一番秀逸となす呼び方とされている。
が、字の意は、草木が左右から一対に茂り その中心で和することから、同化(平和)思想が根底にあり。
強制することなく自然に得心(十分に承知すること)して、渾一する考えであった。
病についても西洋医療の多分は、対治(=病気である患部を攻撃する)としている。
だが、東洋医療の多分は、同治(=病気である人を緩和する)である。
その場の状況で使い分け両立させる必要がある。
病気を枠組みの中に当てはめて決定するのは危険すぎる。
多種混合の流動社会に於いて病気が一定した形態自体、不自然である。
病気の予期しない変化は、一貫性に欠けた方向へ逆送している。
薬物の耐性(病原菌などが、薬物に対して抵抗すること)を考えると東西医療の同調の中で治療をして行かなければ、病気は予想外の増悪へと変種して来ている。
養生も個々によりあらゆる方法が選択されることが、余儀なくされて来た。
「 勇気とは、間合(タイミング) をもつことである
間(リズム) の取り方が勝負を分ける 」