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「四方山話」 其の二十一

1.慈心の国手

2.老婆心独語

□■□ 慈心の国手 □■□

よく耳にし使われる医食同源や薬食同源の考え方は、実際は医薬よりも前に食が重要であることを強調させる中国の教えが拡大解釈された言葉である。

今では医薬も食も同じ考えで捉えられている。

「汝の食物を汝の医薬とせよ、汝の医薬は食物とせよ」

とギリシャの哲学者ヒポクラテスは陳べている。
彼は神学者であり、医師でもあった。

当時の西洋医学には、哲学的考え方が医学の中にもあり。
西洋哲学思想の中に医療がある考え方は、東洋哲学思想の「医」の考えに類似している。

中国は漢方(中医学)・インドはアーユルベータ医学・ギリシャはヒポクラテス医学、どれも自然治癒力と関係した医学である。

 

中世文学最高の作品の一つ「徒然草」は、文章が分かりやすく、はっきりしていて、兼好法師の言おうとする事が、よく聴き手に理解される随筆である。

文中に 文武医とあり、この三つを与えられた者 すなわち 人の上なりとある。
中でも 医 は、畏敬の念で尊ぶが 現在では、少し見方が変わってきている。

「医」という字を安易に漠然に使用しているようだ。
もう一度 医の語源を繙いて記す。

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漢字を表示できない箇所を●としています。
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医は古代には●【左:医、右:殳、下:巫】と書いて、下の「巫」は、天と地の中心に棒があり、人が左右にいて、棒を伝わり、神仏などが天から地に姿を現す降臨。

巫(カンナギ)は神おろしをする様子で神を祭る人の意で、巫祝(ふしゅく)[巫子・巫女・神の子という意味で神子]といい、神がかりの状態になって口寄せする女性を巫(シャーマン)とし、政治、宗教、医療など生きる術を会得して集落の重要なポストである。

生活に於ける迷い、悩み、苦しみを癒す力を持っていて、医を兼ねそなえていた。

上の●【左:医、右:殳】の文字の「殳」は、艾の略字で、モグサは燃す意で、燃すと煙が出て、この煙で空気中の雑菌を殺す力があるため、目に見えない霊や邪気を取り去ると考えた。

現在、使われる医は、矢を入れた箱で矢筺の事で、医は権力を表す当時の象徴であった。

●【左:医、右:殳】は、物を中に押し込み隠す動作を表す。
また、悪霊を消し去る意もある。

●【左:医、右:殳、下:巫】は、シャーマンが病気を治す姿の字である。
その後、醫(イ)に変わる。
西(ユウ)は、内科の象徴であり、酒の古字でもある。
醫は酒を薬として利用していた名残でもある。

このように「医」の歴史を悟り 医食の在り方を根本より改める必要がありそうだ。

 

医者は、慰藉(イシャ)であり、寂しさで満たされない心や逆境のある人々に安らぎとなる誠意ある対応が大事。

先程の醫にあった酒について、和名で佐介・左気と訓む。
酒の語源は、「サンズイ」は、液体のしたたる様子。
「酉」は、十二支の第十で八月にあたり、秋の成熟収穫の時期、西の方角を示す、豊かに熟した状態で、「萬物の老なり」とされる。

しぼり出す形で、液体を貯める壺の形より、水が円熟したものを酒としている。
酒の原字は、「酋」とされ 外に出た汁としぼり出したサケを表す。
また、酋長の意味があり、酒造りの男を酋といい、酒を造り神に祭る役目を酋長がしていた。

酒は壺の中で熟した液体の義(言葉の意味)で、「風寒邪気を避けるなり」とされ、酒のもつ温める作用からサケる説や酒を飲むと気分が変わり爽快になり、不思議な幻想へと誘うため、栄え水がサケとする説がある。

中国では、太古に杜康が癸酉の年に始めて酒を造ったという伝説の人で、酒の字を作ったという説もある。
実は杜康の妻が酒を造ったとされている。

杜康は酒の別名で使われ、酒を造る職人を杜氏というのも関連していると思われる。
しかし、文献には、杜氏は刀自(高年の婦人の敬称。社会から尊敬されている婦人)から起こったとされる。

酒は昔、女性の造るもので、末娘の女性が身を清め、口中を塩水で洗い、蒸した米をかんで唾液中のジアスターゼによりデンプンを糖に変化させ酵母菌により発酵させたので刀自が杜氏となったとされる。

この口醸酒の噛む動作から酒を造ることから醸すの言葉が発生。

 

本題に戻り「医は仁術なり」

仁は医学に非常に関係のある言葉で、今でも不仁という医学用語がある。
不仁とは、自分の体でありながら、自分の体の一部として感じない状態。
手足のしびれなどの知覚麻痺をいう。

仁とは、他人の痛みを自分の痛みとして感じることで、医を学ぶ人達にとって、人の苦しみ痛みを自分の痛みとして感じられる センシティビティー(感受性)を持っていることが大事である。

仁の教えは、医者と患者の間に起こる慈しむ、思いやりの心が恩徳という効果を示す。
儒教の徳でもあり、親しい肉親から次第に縁の薄い人や他人に及ぼす愛恵の心が医には不可欠。

□■□ 老婆心独語 □■□

【 知るは濡染が最良なり 】

物事を知り尽くすことは、知るという艱難辛苦が根底にある。
知り過ぎや知らな過ぎは、「ヤマイダレ」と合わさり、「痴」 痴(オロ)か という病を生み出す。
なぜなら人生に於いて知る歓びは、人生の生きがいであるが、知らなければ良かったと思うことも、度々ある。

知る是非を測る物差しはない。

宗教哲学者・美学者・民芸運動の指導者の 柳宗悦氏の著書「心偈」の中に、

「見テ 知リソ 知リテ ナ 見ソ」

見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいいの意である。

小説家の五木寛之氏 曰く、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、と言っている。

色々知るために学ぶことは大事である。
しかし、本当のことをすべて知ることが幸福とはいえない。

知ることの危険性、知ることより失うものも多い現実。
感動・夢・ロマンは、知識という理解の中から生まれたものではない。

知識の裏返しも見落としてはいけない。

知る者は言わず  言うものは知らず

※濡染・・・見たり聞いたりする内に自然に能力がつくこと

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